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「時の彼方で」  第十二話 M&A

 車を出して辺りを探し回っていると程なく下り線のスマートインターチェンジ

の案内板が見つかった。もう周辺に家はなく、雑木林の中をぐるぐる回らされるように

ひっそりと入り口はあった。地元の利便性とか発展のためという名目で各地の

サービスエリア等に近年設置されているが少なくともここは見る限り一台の車も

通っていない。狭苦しく気を抜くと植え込みに車を擦ってしまいそうな誘導路を

抜けるとそこはもうパーキングの中である。

入ってみて驚いたことにその出口こそまさにさっき僕の車が避難させられシートを

被せられていた駐車場の隅っこだった。

パーキングの中程まで車を進め、エンジンを止め飲み物を買いに出た。

さっきまでトイレと簡単な売店、立ち食い蕎麦屋しかなかったそこも

今では大きなレストランを始め、コーヒー専門店、スウィーツ専門店、

何人もの従業員が忙しそうに客をさばいている売店など、20年前の面影を

見ることも出来ぬほどに様変わりしていた。

僕の歴史はここから新たに始まる、そう教授は言った。過去は引きずっていても

ここから始まる時間は新たなものになるとも言った。

では一体どんな歴史が作られようとしているのか、作られたのか。

さっきまでここに立っていたというのに今は既に20年が経過してしまっている。

その間何を考え、どんな出来事があったのか、それを考えるにはあまりにも

短すぎる間に時は経ってしまったのだ。

目の前の売店から元気の良い声で「課長~~」と美香が飛び出してきたのが

そういえばはるか昔のことのようにも感じられる。

「命を絶つか、このまま生きるかだな・・・」そうつぶやいてはみたが命なんて、

そんな勇気もある訳がなく僕は車に乗り込み家に戻った。途中

鶴ヶ島インターを降りてすぐのところにある行きつけのラーメン屋に入り

定食を注文した。

今までは家族でしか行ったこともなくましてや定食などという頼んだこともない

メニューを注文したにもかかわらず、なじみのマスターは別段変な顔もせず

「今日は仕事休み?」などと言う。

翌朝は普段どおりの出勤で早いのでそのまま布団に入ったのだが、

何度も何度も妙な夢に起こされた。目を瞑ってもおおきな渦のようなものが

幾度となく現れ、村瀬家の二人と元の僕の家族が洗濯機の中で洗われている

いるようにねじれてみたり、見たこともない男女数名がやはりねじれもつれ合って

一人の人間になってしまったり、自分が現れて宇宙のかなたへ飛んで

行ってしまったり。全く意味を成さない夢だったが、さすがに少しは寝たのだろう、

目覚ましがけたたましく鳴り響く音に驚かされ飛び起きた。

自宅から会社のある文京区までは電車に乗ってしまえば1時間ちょっとである。

しかし、家を出てあわててしまった。以前の住まいなら鶴ヶ島駅まで徒歩8分

なのだが、一歩外に出てここの最寄が鶴ヶ島の一つ先の若葉という駅で

あることに気がついた。そこまでは気が回っていなかった。

鶴ヶ島市は結構広く、駅も鶴ヶ島、若葉、坂戸と3つにまたがっている。

この若葉のマンションは駅まで近いのが救いで電車一本程度の

遅刻で済むかも知れない。

 社内に入ると何となくどんよりとした雰囲気が漂っていた。

今日は極秘に近い会議なのでグループの中でも比較的小さい僕の

管轄している会社に全てのグループ会社の社長連中を集めたのだ。

会議室に入ると時間はまだぎりぎりセーフだったが、すでに全員が集まっていた。

僕の秘書が全員にお茶を配り終えたところで話を切り出した。

「今日集まってもらったのは他でもありません、我がY&Uホールディングスに

M&Aの話がもち上がっている。皆の知っている限りの情報を出してもらいたい」

僕のY&Uホールディングスは具体的には7社で構成されている。

それぞれに社長を置き、ホールディングス全体も創業時から苦楽を共にした

内田に任せているが、実際は裏で僕が仕切っているのが実情だ。

業績も創業以来一貫して右肩上がりなので株主総会などで突っ込まれる

要素も全くない健全経営をしているのだ。しかし一昨年から始まった不況は

さすがにこたえるところもあり、小売部門ではデフレの影響も強く、わずかな

経常利益損を出したがダメージにはなっていない。

「では、ご説明します」 内田が切り出した。

「現在、当社に仕掛けてきている企業は判明している範囲では女性用衣料品

小売のトップであるサニックスであります。」

一同から驚きとため息が漏れた。

「ご承知の様にサニックスは低価格で高級品をテーマに関東東海地区では

いまやトップのセールスおよび店舗数であります。付け加えて近年

ネット通販のニッセイを買収、傘下に収め、衣料品から雑貨まで女性対象に

販路を広げ、店舗売り上げに近くまでその業績を伸ばしております。

サニックスとしては我が社の男性向け通販事業、店舗展開を得ることにより

より効率的で広範囲な経営を目指していると考えられます」

「で、サニックスホールディングスの年商はどうなんだ?」

「はい、連結決算で売上高8千億円経常利益900億円が直近の数字です」

「創業から間もないんだろ、すごいな・・・うちは3月期でどうなんだ?」

「はい、連結売り上げ7千億円、経常利益950億です」

「ほぼ対等ということか・・・あちらは上場はしないのか?」

「全くその様子はありません。創業家がほぼ全ての株を保有しており、つまりは

市場から資金調達しなくても資金は潤沢に保有していると思われます。」

「まるでサントリーのようだな・・・」ちょっとした冗談だったが誰も笑わなかった。

「相手は何か条件のようなものを出してきたんですか?」 ネット事業部の渡辺

社長が切り出した。

「いや、それがまだ全く何も言って来ないばかりか、今報告したこと以外は

何もわからないのが現状です」

「わからないとはどういう事?」と僕。

「ええ、サニックスが判明したのも昨日の事なのです。今回のM&Aに関しては

全権をアメリカ系の投資顧問会社リーマンシスターズが全て取り仕切っています。

なので相手も見えず今回の合併が好意的なものか敵対的なものか図りかねています。」

「好意的なものとして、内田社長は今回対等の合併と仮定したらどう思う?」

「そうですね、一般論ですが時代の流れというか何と言うか・・・合併すれば

年商ベースでも業界トップの複合企業になるわけで、そういう意味では

我が社単独でトップを目指すよりはメリットのほうが多いかと。」

他の参加者も皆一様に腕組みをしてうなずいている。

確かに2兆円規模の小売、ネット通販企業が生まれれば世界とも争える規模だ。

ユニクロのファーストリテイニングすら上回る事になる。

「早急にうちも対策チームを組まないといけないが今更顧問会社に委託する

必要はないと思うがみんなの意見は?」

「私もそれでいいと思います。専門家も社内にいますし、山中社長の采配で

充分通用します」

「僕の采配で充分?笑っちゃうね、皆の力を結集しなければ無理ですよ、

では皆さんそういう事でお願いしますが異論はありますか?」

よくも悪しくも創業社長とはこんなもので、実質内田と僕の二人で築きあげた

会社だけにこういう時になかなか大胆な意見を言ってくる者がいない。

「系列各社のみなさんの所にも個別に調査やら接触が想定されますが

対応は一切ホールディングスの内田が窓口ということで応じないでください、

それと各部署でサニックス及びニッセイと業務がかぶる部分を洗い出して

おくように。個別の対応策は次回の会議でお聞きします」

「それでは私からは以上で・・・」

そこまで内田が言いかけた時だった。僕の秘書が血相を変えて飛び込んできた。

「山中社長、ホールディングスの専務から緊急電話です」息を切らせている。

僕と内田で顔を見合わせたが、ここは僕の出番なのか?表舞台には出ていない

はずなのだが。

「山中ですが・・・」

「あ、社長、大変です、たった今リーマンシスターズからファックスが入りました!」

「何だって言うんだい、そんなにあわてて長岡君らしくないじゃないか」

「大変です、一大事です、社長連が集まってる時にお知らせしないとと思いまして」

「いいから落ち着いて続けてください」

「サニックスは合併など望んでいません。敵対的吸収合併が目的のようです!」

「吸収だって?そんな規模的に不可能だろう・・・」

「いえ、サニックス側は当社の発行済み株式の52%を既に取得し、残りの流通株も

猛烈な勢いで買いあさっています。現時点で当社の経営権はあちらにほぼ

奪われた形です」

「なんだって?」持っていた電話機を落としそうになる程の衝撃だった。

「明日、リーマンシスターズの担当とY&Uホールディングスのトップで会談

出来ないか聞いてきています、いかがいたしましょう?」

「内田、どうだ?」

「私ですか・・・山中社長はお出ましにならない、と?」

「私は闇だからな、相手もとまどうだろう、いきなり顔を出したのでは」

「よし、受けよう。ただし、吸収は受け入れられないと伝えてくれ」

「しかし社長、ファックスには速やかな経営移譲を望むとまで書いてあります」

「アメリカ人らしい表現だな、血も涙も無いという事か。とにかくそう伝えてくれ」

「わかりました・・・」

僕の会社は一部上場を果たしているが、発行済み株式の4割は創業者である

僕個人が管理している。そう簡単に買収出来るはずはないのだ。仮に残りを

全部取得するとしても兆の単位の資金が必要になる、そんな無謀な買収など

あり得ない。

しかも残り6割の内、社員持ち株会で2割以上占めているはずだし市場に流通

しているのは更に幹事銀行の持ち株を差し引いた部分だけなのだ。52%という

数字はどこから出てきたものなのか、はったりの可能性すらある。

「みんなあわてないように。よく数字を精査してみないと事実かどうかすら

判りません。社内的に6割は保有しているはずなので52%の根拠がないのです」

「山中社長、6割とは?」

「なんだい、内田君まであわてないでくれよ、僕の管理が4割で君だって1割は・・・」

「え?社長の管理分は2割ですよ?」

「何だって?」

「関連省庁にも届出は2割で、四季報にも創業者富士不動産2割と記載されてます

創業時からずっと変わらない数字ですよ、どうしました?」

言葉を失ってしまった。決して勘違いなどではない。昨日までは4割だったのだ。

とっさに昨日までの自分と今日の自分の立場の違いが現れたことに驚いたが

冷静さを取り繕うことにはさすがに慣れてきた。

富士不動産というのは僕の名前を表にしないための名前ばかりの不動産屋であって

実際には金融部門の会社であり僕が投資運用を実質切り盛りしている会社である。

近年のアメリカ企業による買収を防ぐ意味で創業一族がよく使う手段である。

「そ、そう、僕が2割保有して君が1割、役員分が全員で2割あるとして、もう

これだけで充分じゃないか、52%はあり得ないのでは?」

会議室が静まり返り、下を向く者もいた。とっさに察したのか内田が切り出した。

「皆も会社の株を与えられていると思うがまさか手放したりした者はいませんよね?」

静寂が一分続いた。

「申し訳ありません・・・自分は去年2万株売ってしまいました・・・息子が医大に

入るのに資金が足りなくて・・・申し訳ありません、辞表出します・・・」

輸入小物の島田社長だった。

「申し訳ない、自分も今年に入って3万ほど売却しました、言い訳は致しません」

今度はネット事業の渡辺が続いた。更に驚いたことに他にも4名が市場に

売却したと名乗り出た。

「お前たち、いったい何のつもりだ!創業した山中社長が共同経営を、と

みんなの老後のためにと分け与えた株じゃないか、それを揃いもそろって

手放すなんて、社長はな、株の配当以外は役員報酬を取っていないのを

知らないのか?お前らより低い年収で会社を盛り立てているというのに・・・」

内田の言うとおり僕は会社から給料をもらっていない。ただし配当金を

自分の管轄である投資運用に回しているので皆より低いは誇張しすぎだ。

「まあ内田、皆を攻めちゃいけないよ、このご時勢だ、何かと物入りなのは

仕方の無いこと、しかも皆全部を手放した訳じゃない、それこそ愛社精神

ってものだ。みんなも辞表だなんて物騒な事は言っちゃだめだ、

こういうときこそ一致団結が必要なんだ。この苦境を乗り切るために

いっそう力を貸して欲しい」

内心いくらかの失望を隠してこう言うと皆がいっせいに頭を下げ涙ぐむ者もいた。

「ホールディングスの筆頭経理に市場に出回った正確な数値を計算させてくれ、

それまでに対策は考える。それと、長岡君に明日の会談は午後5時、都内の

ホテルでとファックスを送り返すように伝えて。時間稼ぎだ。それと・・・

こちら側の出席者はホールディングスの内田と副社長2名、専務1名に

富士不動産からも山中の名前で1名出ると書き添えるように」

「山中社長、お出ましですね!」

「こうなったら捨て身で行くしかないだろう。完全吸収されてしまえば恐らくは

ここにいるみんなハローワーク通いだからな。あと、くれぐれもマスコミには

この件がばれないようにしてくれ。市場が混乱して収拾がつかなくなると困る。

あとは・・・渡辺君、我が社のネットの総力を駆使してサニックスの創業家を

出来る限り調べてくれないか?敵の顔も見れなきゃ戦えもしない・・・」

「はい、判りました、やってみます」

「では明日も9時全員この会議室集合でいいね、それまでに各自出来る限り

相手の情報収集をよろしく」

我が社のトップ達はそれぞれの会社へ戻っていった。

残った内田と二人きりになると、途端に双方が不安げな顔になった。

社員の前ではしっかり者を演じなければならないが彼は同僚だ。

「山さん、困っちまいましたね、さあどうします?」

「まさかなあ、どうしますっておまえ、なるようにしかならんでしょう、まあ

他の連中は肩身の狭い思いで新しい会社の部長あたりでは雇ってもらえても

少なくともお前と俺は追放されるよな、そん時はそん時!俺とお前の持ち株を

買ってもらって細々とまた何かやるかい?」

「あらら、山さん珍しく弱気じゃないの、どうしたの?いつもの強気は」

「52%が事実なら打つ手は無いって。更に買い増すんじゃ6割超えるぜ。

そんなに買い占めてどうするってんだ?創業家が独り占めか、新規上場ってか?

さすが本場アメリカさんだよ、これでうちを乗っ取ったらリーマンさんは相当

がっぽり持っていってはいさよなら、でしょ、大したもんだよ資本主義は」

「うちも上場からここまでの規模拡大のスピードが速かったですからね、

目を付けられてたって事っすかね、甘かったかなあ、せめて山さんが

4割位持ってれば良かったのに・・・」

「だから4割持ってたんだってば!」

「またぁ冗談ばっかり。無いものねだりはしないの!しかし何か方法はないかな?」

「泣き寝入りする以外は無いね、雇ってくださいって泣くか?」

「ついに山さんにも焼きが回りましたって?お付き合いしますよ

地獄の果てまでもね」

その日、Y&U社の株は前日比僅かに上げて10円高と、なんら混乱した様子も

大口の買いが入っている気配も無かった。

その日の午後は内田の、いや会社の総本部ホールディングスの本社ビルで

情報収集にあたることにした。情報といってもこちらでつかめるのはリーマン社

がどういう会社で今までにどういった手法でM&Aを手がけてきたか、その程度

までなのだ。サニックスにしてもニッセイにしても経営者の名前と

経歴までは判るがそんなものは何の意味もなさず、Y&U同様、一代で築き上げて

来た創業家に関してはベールに包まれているのだ。手法が自分と同じだけに

いかんともし難い。

今年の初めに洋酒メーカーのサントリーとビールのキリンの合併話が破綻したが

会社規模がはるかに違うとはいえ結局問題になったのは非上場のサントリー

創業家、寿不動産がネックだった。サントリー創業社長亡き後、長きに渡り

存在こそ知られてはいたが、本当の実態は誰も知ることが出来なかったのだ。

あちらは3割の新会社の持ち株を主張し、経営権も求めたがキリンは

受け入れなかった。あの場合、もちろん空論だが非上場のサントリー側が

上場のキリン株を買い占めてしまえば今回の僕に降りかかっている事態と

同じ構図になる。上場企業株の大量購入には本来財務局に報告しなければ

ならない義務があるのだが、ホリエモンのライブドアが日本放送株を取得したときも

村上ファンドが阪神電鉄を取得したときも守られはしなかった。

ましてや今回の様に徐々に買い付け量を増やし、結果として52%に

なったのであれは、その時点で報告すればよいように買い付け人を何箇所にも

分けて、集まったものを一気にまとめるという手法もある。あくまでも国内法

だからリーマンシスターズは法の抜け道を熟知しているのだろう。

 ネット事業部の渡辺社長に催促を何度も入れてみるのだが、答えは返って来ない。

持ち株会社が沢田産業という会社だから社長は沢田さんでしょうと、なんとも

心もとない答えが精一杯だった。

 4時を少し回った時だった。僕の横でパソコンと向き合っていた内田の内線電話が

鳴った。

「はい、内田です、はあ??ええ?サニックス?サニックスの社長ですって??」

辺りにいた全員の視線が内田に集中した。僕はあわてて手を伸ばし、内田が

受けている電話機のスピーカーボタンを押した。

「はい、突然で本当に申し訳ございません、サニックス代表取締役の安田といいます」

「ちょっと待ってくださいよ、サニックスさんって今うちと問題のサニックスさん?」

「はい、大変ご迷惑をおかけいたしている様で・・・大至急お知らせしなければ

ならない事態になりまして失礼を承知で内田社長様にお電話を、お許しください」

電話を持った内田の手が震えているのが判る。大きく唾も飲み込んだ。

「さっきリーマンさんからずいぶんと強気のファックスを頂いたばかりですがね、

今我が社はてんやわんやなんですが・・・」

内田が興奮のあまり語気を荒げているので僕は抑えて抑えてと合図を出した。

「その件なのですが、たった今、当社はリーマンシスターズとの契約を違約金

10億で解消したところなのです」

「5億だか10億だか知りませんがうちはですね、え?え?解消?解消って

おっしゃいました?」

「はい、M&Aに関する全ての契約をたった今解消いたしました」

「いったいそれはどういうことなのですか?」

「はい、お騒がせしておいて本当に申し訳ございません、リーマン社から御社に

対して出していた条件も全て撤回させて頂きたいと・・・」

「吸収合併、いや、買収の話を無かったことにと、そういう事ですか?」

「おっしゃるとおりです」

「何でまた急に?」

「お電話でこんなお話をお許しください、私どもも実はまだ事態がよく飲み込めて

いないのです・・・。リーマンの強引なやり方も実は先ほど全容が解った次第

なのですが、その前に当社の創業家である沢田の方からリーマンとの解消を

命じられ、御社に対しても最大限の謝罪をしろとの命令が下って参りました」

「何でまた急に・・・」

「わかりません・・・ただリーマンの手法にははなはだ違法な部分もあるかと・・・」

「それはそうでしょうが、明日のトップ会談が決まっているのになぜこの

タイミングなのでしょうか?」

「リーマンの報告を受けた沢田の方が相当に焦った様なのです、明日の会談と

これまでの経緯を見たせいだとは思うのですが。失礼ですが富士不動産の

山中社長様が御社の創業社長様でいらっしゃいますよね?ファックスにお名前が・・・」

「そうですが・・・」

「山中社長様のご連絡先は直接富士不動産でよろしいのでしょうか?」

「山中に何か御用ですか?」

「いえ、失礼しました、内田社長様にもお会いして直接謝罪させていただきますが、

沢田の方が直接山中社長様にお会いして謝罪したいと申しておりまして、

いきなりお電話差し上げてよろしいものかどうか・・・」

「山中なら今、隣でこの話、聞いてますよ、代わりますか?」

「はあ、そ、そうでしたか申し訳ございません・・・」

内田がペロッと舌を出して受話器をよこした。

「山中ですが・・・全部お聞きしてましたから大方お話はわかっております」

「恐縮です・・・米国企業任せとはいえはなはだ失礼を今回は・・・」

「その話は解りましたから。そんなに一方的に謝らなくて結構ですから、

安田さん、ビジネスにはつき物の話じゃないですか、ちょっと焦りましたけどね」

「はあ、なんと申し上げてよろしいやら・・・」

「で、おたくの創業者が私に?」

「はい、当然ですが沢田が直接お会いして謝罪したいと。こちらからお伺い

させていただいてよろしいでしょうか?」

「構いませんが、うちの狭い会議室でもなんですから、じゃあこちらは赤坂で

おたくは六本木でしたね、中間の全日空ホテルのロビーにでも行きましょうか?」

「た、大変恐縮です、こちらはご指示頂ければいつでも出かけられるように

致しますので・・・」

「じゃ、今すぐ行きましょうか?」

「す、すぐですか?」

「何だか脱力感に襲われてましてね、仲直り、いや、白紙に戻すには

早くお会いしてすっきりした方がいいでしょう」

「ありがとうございます、さすがに一代でY&Uをお築きになられた方です、

ご寛大さに恐縮してしまいます」

「そんな、お互い、一代目の企業でしょう、同じじゃないですか、じゃ、

6時でどうですか?沢田さんは平気なのですか?」

「沢田は今会議室にこもりっきりで謝罪文を練ってるようなんです、

以外に小心者なんです、あ、これはオフレコで・・・では6時に全日空ホテルの

レストラン「ボヌール」を予約しておきますから軽くお食事でも・・・」

「解りました。でも10億の損害の後でいいんですか?」

「痛いところをお突きになられますな、ふふ、あなたが気さくな方で助かりました」

「いえいえ、大いに激怒していますよ、充分に、あはは、では後ほど」

 少しばかり大物風を装って話を進めてみたものの、内心ではこれは何かの

冗談なのではないかとびくびくしていた。内田の顔を見ればよく解る。

彼はいまだに青ざめている。無理も無い。僕だってリーマンの違法性はわかるが

なんで急に良心的日本企業に変わってしまったかの真意は解らないのだ。

「どう思う?」 内田に聞いてみた。

「わかりません・・・」

「そうだよな・・・ま、行ってみようじゃないか」

内田社長の秘書、坂田君が話の合間に入ってきた。

「社長、今リーマンシスターズ日本法人に確認したところ事実でした。

その件に関しては一切ノーコメントだそうです」

「そうかそうか、ありがとう、じゃ、坂田君、今のおおよその事実関係を

今日午前中の会議に出た全社の社長に伝えてくれないか、文書でなく

直接電話で説明したほうがいいでしょう」

「わかりました、すぐに伝えます」

それにつけても昨日といい今日といい、僕の人生にこんな波瀾万丈が今までかつて

あっただろうか。説明しようにも出来ない不思議な事の連続が降りかかって

来る。教授の言っていた新しい人生、生活とはこの事なのか、会社の危機は

どうやら乗り越える様だが更に5年10年先には一体何が待ち受けているのか、

過去は過去だが先の事は誰しも同じ事、そう思って過ごせばいいのか、

そう考えて少しは気を楽にしたほうがいいのだろうか。

まだ少し呆気にとられている内田に「考えても無駄だぞ」そう言ってみたが

それが自分自身に向けて言っているのだと改めて思い知るようでもあった。

「なあ内田、歩いて行こう、まだ少し早いし、すっきりするかもしれないよ」

「そうだなぁ・・・」

「さあ、元気出して行こう、なるようにしかならないって」

「そうだなぁ・・・」

僕らは夕闇の迫った一ツ木通りを抜け、テレビ朝日のあるアークヒルズへ向け

歩き出した。今でこそ車や地下鉄しか利用しないが若い頃サントリーホールに

行くために何度も通った道だ。怪しい中華料理屋もなだらかな坂道も懐かしい

たたずまいのままだった。

サントリーホール、そういえばサントリー芸術財団、文化財団とこの企業は

ずいぶんと社会活動を活発にしているのだなと思いを巡らせた。どれほど

この企業には無形の世話になっている事だろう。キリンとの合併話しは無くなって

良かったのだ。サントリーはサントリー独自の道を行けばよいのだ。そう、

僕もいつかはこの会社の様に社会のためになる活動の出来る会社にしなくては

いけないのだ。それが僕の使命なのだ、そう考えると勇気が湧いてくる。

サントリーホールの横が全日空ホテルだ。出来たての頃は超一流と思ったものだが

あの頃はまだ学生だった。今でも綺麗なたたずまいだが台湾や韓国あたりの

観光客も散見され集客競争のすさまじさも垣間見ることが出来る。

東京は外資系ホテルが多すぎる。

約束の10分前だがホテルに着いた。最上階に上がり結構評判のよいフレンチ

レストランの前まで行くと初老の男性と女性が僕らに深々と頭を下げている。

レストランのお出迎えにしては女性は着物姿でおかしい。

「山中社長様ですね、お待ちしておりました、沢田です」

「安田です」

いきなりだが先方は待ち構えてくれていたらしい。

名刺交換をしてみると、女性の方が「沢田産業 代表取締役 沢田弘美」とある。

女性にして一代でサニックスホールディングスを築き上げた凄腕なのだろう。

きりりと品のある装いは歳を感じさせない美しさもあって風格すら漂っている。

「ささ、中へ」

安田社長に案内されるように僕らは席に着いた。あらかじめ店と打ち合わせでも

出来ているのか、テーブルの上にはミネラルウォーターのボトルが開いており

各自にグラスが置いてあるだけで注文は聞きに来ない。

それからどれだけ謝罪の言葉が続いたことだろうか。沢田社長はずっと

頭を下げたままで、安田社長が詳しく事の成り行きを説明している。

リーマンの違法性に気がつき強引な手法に驚いたからと言うのが今回の

白紙撤回の本意だというが、52%もの株を取得しておきながらなぜ撤回なのか

そこの所が不思議でもあった。リーマンとの契約解消に10億もの資金を

使ったのなら、そのまま撤回せずとも経営権はサニックスにあるからだ。

「沢田社長、もう頭をお上げになって下さい、お気持ちは充分頂きました」

僕がそう言うと沢田社長はたっぷりと涙を含んだ瞳をそっとハンカチで押さえた。

泣いているのだ。なぜだ?

「いくつかお願い事がございます・・・」

沢田社長がゆっくりと涙をこらえるかのように話し始めた。

「何でしょうか、おっしゃって下さい、私に出来ることでしたらなんなりと」

「ありがとうございます、では・・・」

そこまで言うと安田社長がボーイに合図をした。料理を運ばせる合図の様だ。

目の前のグラスがワインに変わるのを待って話しは続いた。

「まず、私どもが違法に買い集めたY&U様の株式ですが・・・」

「はい・・・」

「これを御社のご指示通りの形でお返ししたいのです」

「待って下さい、そのままお持ちになられれば、当社の経営権はサニックスさんが・・・」

「いえ、それでは私どもの気が収まりません、そもそも違法に集めた物です・・・

ただ、市場に戻したりすれば下落してしまいますし、買い戻せというにはあまりにも

額が大きすぎます」

「はあ、そうですね、しかし・・・」

「山中社長のお知恵をお貸し下さい、いかなる方法にも従わせて頂きます」

経営権もいらない、株も返すと言う。完全に話しは逆転してしまう。

そこまで律儀に法に従う必要があるのか、生き馬の血を抜くような競争社会で

勝ち登ってきた経営者の言葉とは思えないのだが美しさの中にある涙は

嘘を言ってはいないようだ。

「そうですね、考えさせて下さい、数年に別けて償却していくとか・・・」

皆でワイングラスを持ち軽く合わせると沢田社長は唇を濡らす程度にして

置いた。

「他にも何かあるのですか?」

今度は安田社長が話し始めた。先ほどの電話からまだ2時間も経っていないのに

この会社は既に方針の決定がなされているらしい。

「私どもの会社はサニックスと通販のニッセイ、そして持ち株会社のホールディングス

この3社でなりたっているのはご存じの通りですが、このサニックスとニッセイの

2社を経営するにあたりそのご指導を山中社長にお願いしたいのです」

「はあ?」

思わず黙ったままの内田と顔を見合わせてしまった。

「それは一体どういう意味ですか?」

「あなたに経営をお任せしたいのです」沢田社長が言った。

あまりにも唐突過ぎて真意が解らない。

「もし、私どもの2社がY&Uさんのお荷物にならなければの話しですが・・・

資産を全て作り上げた身内の者に財産を多少返せるのならば、ホールディングス

の経営も含めてお願いできれば、と」

「お荷物だなんてそんなことはあり得ません、現にアメリカの投資会社まで

乗り出してきた案件なのですから、誰がどう見ても両社の経営統合は

魅力的なお話しですし、世界と競えあえる会社が誕生するのは間違いありません」

「でしたらうちの会社の面倒を見ては頂けないでしょうか?」

「そんな・・・突然言われましても・・・」

「安田も長年の顧客と婦人服に関するノウハウは持っていますから、Y&Uさんの

営業部長にでも置いて頂ければ・・・」

「そんな、大会社の社長を捕まえて営業部長なんて失礼な・・・」

「いえ、私も安田ももう歳ですから、そんなに長く現役ではいられません、

もしY&Uさんが助けて下されば軌道に乗るまではお力添えも出来るかと・・・」

「助けるだなんて・・・」

「女手一つ、いえ、安田や他の社員、家族にも助けられましたがここまで

やってこれたのでもう充分なのです。この先は真の実力者に私の会社の将来を

お任せしたいのです」

「なんか弱気ですね、先程まではY&Uと合併してでも事業の拡大をお考えに

なっていらっしゃったのではないですか?」

「それは・・・Y&Uさんの創業者が山中社長とわかるまでの話しです・・・」

「それは一体・・・」

「もう一つだけお願いがございます。今、大阪出張から急遽呼び戻した

私の娘がおります。もうすぐここに到着しますが、この娘も山中社長の

会社でどこでも構わないので使ってやって下さいませんか?」

「そんな・・・大社長が言う言葉とは思えませんが・・・」

「ずいぶんと探しました、あなたのような方を。いえ、山中さん、あなたをです」

「え?」

「まだお解りになりませんか?私の顔に見覚えはありませんか?

そんなに老けちゃったかしらね、山中さん・・・」

そう言われてみればどこかで・・・

「村瀬です、沢田は私の旧姓、主人が亡くなって旧姓を・・・朝まですき焼き・・・

待ってたのに・・・」

僕はこの世の終わりかと間違われる程の奇声を発し、立ち上がると同時に

テーブルをひっくり返してしまった。

店中の人が悲鳴を上げ飛び散ったガラスから身を避けている。

そんな騒動を引き起こしていると、店の入り口から明るい女性の大声が聞こえた。

「わぁ~大変な事になっちゃってる、おかあさん、あ、いたいた!ねえねえ

課長は見つかった?」

声の主は相変わらずかわいらしい、ちょっと大人びた村瀬美香だった。

補足に続く・・・

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

意外や意外

経済小説に発展するとは

稲さん

やったね!!

それにしてもディテイルにリアリティが

あって凄い

当初の結末がどうだったのか

知る由もないが

このエンディングを思いついた

生みの苦しみは想像もつかない

稲さん 作家になったら?

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